i-e ZINE #000 essay

COLUMN


札幌のギャラリー「ie」が創刊したZINEにエッセイ

「去来する記憶、はじまりの合図」を寄稿しました。

(導入)

 7月にもかかわらず、ひどく寒々しさのある月だった。気温は20度前後を行ったり来たりする程度で、30度を超える日は1日たりともなかった。街の人々はすでにクローゼットに閉まっておいた上着を仕方なしにまた取り出して、気だるそうに羽織っていた。光のささない暗い影のなかで冬物の上着が保管された湿度のあるタンスの匂いがするような気がした。ある意味ズボラで楽観的に物事を捉えることのできる人たち(それはひとつの生きていく上での才能だ)は、夏を満喫するべくショーツで気張っていたが、なだらかに夕に陽が傾きはじめると、皆どことなく居心地悪そうで、眉をひそめた薄着の人たちが不憫にすら思えた。

 気づかぬ間に、だが確実に、これまで味わってきた従来の夏とはまったく違った夏が訪れようとしていた。気候変動が巻き起こり、あまりに杜撰な政治が世間を横行した。怒りの発露として、何かに取り憑かれたようにBlack Lives Matterのデモにでかけるか、今まで以上にゴシップに身を没入させることで自分の考える隙間を埋めるほか、手の施しようがなかったのかもしれない。特に世の中から明るい変化の兆しは感じることはできず、どこか後ろ暗い向きのあるどんよりとした空気が街を支配した。それは日本に限った話ではない。世界中どこでもそうだった。

 ワルシャワを首都とするポーランドでは同性婚を認めないカトリック原理主義的な政治が、中絶による死刑を認める判断を下して(中絶を禁止することを謳った大統領が結局のところ51% / 49%の割合で勝利した)、クイアの人々は怒りをあらわにして街を闊歩した。ベルリンでは、アレキサンダー広場に人種差別反対を訴えるべく、およそ1.5万人が詰めかけた。それはどこか自分たちの存在の正しさを証明するために、自らを安心させるための行為に思えた。現場にいない当事者以外の誰かが言える話ではない。それは必要なことだった。この年のあまりにも異常な変化に対して真っ向から向き合うことは、圧倒的に正しかった。でも欺瞞に満ちた見方かもしれないが、そんな日に静かに公園でマリファナ入りのタバコを片手に公園で新聞を読む老人の方がよっぽど、世界と社会に対峙しているように私には思えた。セレブリティがハリウッドの豪邸でコカインパーティーを続けるなかにあって、ニューヨークの路上では、人々の心の血が意味もなく流され続けた。もっというと、流されることなく、空気に触れて冷たく紫がかって、吹き溜まりのようなかさぶたになっていた。彼らの憤り悲しみ、世の中に対する反抗的な行為に何かもっともらしい教訓を見出そうと躍起になっても、残念ながら不可能だ。強いていうなら、私たちは100年経てど、変われない生き物だと、戦火の危機的状況に勇退する兵士のごとく認めることで、ようやく、後に残るかさぶたをはがすようなやり口しか方法がなかった。ただただ、お互いにもうこれまでと同じような世界線には生きられない事実を目配せと小さな沈黙で交わし合うような時間だった。それは気持ちのいいサマースーツの下で、汗が蒸れて嫌な匂いを放っているのとどこか似ていた。そんななかにあっても7月の晴れ間が覗いた正午過ぎ、街を出歩けば、とても涼やかな風が吹いた。本当にわずかな時間。サングラスをかけて、肌寒さの対策として上着を羽織って出かけるちぐはぐな人たちのなかに、満たされた確かな幸せの色を感じとることができた。つかの間に訪れたなだらかな平穏を慈しむかのようだった。これは時勢とはチグハグにも見える穏やかな時間の話だ。

■about 「ie」and『ie zine』
札幌に多目的な空間「ie(イエ)」が誕生しました。築50年以上の一軒家に手を入れ、2021年1月にギャラリーとミニバーを併設した1Fスペースがオープンし、2021年3月末には2Fに図書室、アパレルルーム、多目的室が完成いたします。場所としての「ie」と連動して、不定期で発刊される『ie zine』の創刊号、#000「new beginning」は、札幌や東京、大阪、ベルリンのコントリビューターを誌面に招き、それぞれのnew beginningを一冊に込めました。

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